2011年03月31日

3月も終わりです

3月11日以来、ブログを更新するという気持ちにもなれませんでした。殿の日本語学校の卒業式もあり、少しほっとしたのではありますが、日本が地震、津波で受けた影響と原発の問題が自分のなかでもずっと重くのしかかっていて、個人的な日々の生活と精神的に切り離せないのですね。アメリカにいる私でさえこうですから、日々の情報に埋もれている日本の方は本当に大変な精神状態だろうと思います。

夏におみやげに買ったかもめのたまごの「さいとう製菓」からメールがありました。津波により岩手県の本社機能が壊滅状態ということで復旧の見込みもたっていないということ。こういう風に従業員を抱える会社でも、再建の目処がたっていないところも多いのでしょう。律儀にメールを配信して下さって、それがなんとも悲しかったです。何もかも失ってしまって、とりあえず生きていくだけで精一杯で、でも自分の事業の建て直しまで考えなくてはいけないなんて、想像を超えますね。国や自治体が適切に助けの手を伸ばしてくれるようにと思います。

若のアメリカの小学校の日本人家庭のお父さんの1人は、親戚の方が気仙沼で2人津波のために亡くなったのだそうです。90歳の寝たきりのおばあさまとお嫁さんだったということ。津波がくるとわかっても逃げ切ることができなかったのでしょうね。そのときの恐怖や無力感を思うと胸が締めつけられます。

原発も、本当に心配ですね。誰も想定していなかったほどの被害なので、どこから手をつけてよいやら、という感じですよね。問題を冷静に把握して、解決をしていくための視点と機転と知恵と精神力が関係者の方たちに与えられますようにと祈るしかありません。原発なしで電気を供給するためには、またインフラを変えていく必要もあるでしょう。めどがいつごろつくのかもわかりませんよね。気が遠くなるようなプロジェクトではないですか。

遠くにいる私は何もできないのですが、ただただ、皆さんに、前向きに進むことのできる元気とエネルギーがもどってくるように、ということ、笑顔が戻ってくるのだと信じることができるようにとお祈りしています。

日本の人たちは連帯感が強いあまり、一緒に苦しもうとして、元気な人まで元気をなくすのが筋合いである、それが美徳みたいにどこかで思っている人も多いのかと感じますが、必要な情報以外は思い切って自分の中にいれない、自分が消化できる情報の量をしっかりわかって、それ以外は見ない読まない、ということも健全な精神状態を保つために必要だと思います。今までも、そしてこれからも悲惨でかわいそうすぎて一緒に泣いてあげたいエピソードはどんどん入ってくるわけですが、それを自分の中で建設的に処理して、前向きに生きていくエネルギーに変えられないなら、決して情報の中にどっぷり漬かって溺れてしまうのはよくないと思うんですよね。どんどん流される悲しい悲惨な状況の報道によって、元気だったのに元気をなくしていく、時が経つほど落ち込んでいくというのは、ある意味で自分にも、皆にとっても無責任な結果を生んでいる、というぐらいの気持ちでないと、情報過多のこの世の中、自分や家族を守れないと思います。失恋して悲しいときにさだまさしを聞いてもっと悲しくなる、っていうのが昔笑い話になっていましたが、もっともっと悲しい話を聞きたいっていう欲求は実のところ人間にはあるのだと思います。それが自分にとってプラスなのかマイナスなのかきっちりと把握しないと。失恋とさだまさしは笑い話になりますが、心身症になってしまったら、笑い話ではすまされません。それぐらい、メディアの力は強烈なのだということ、大人も理解していないと。

3月27日が父の命日だったので、40年も前のことなのに今回の震災で大切なものをなくされた方たちの気持ちと重なり感傷的になりました。人生って、楽ではないんだと思うし、楽しいことや幸せだと感じる瞬間なんてどうせ続かないだろうし、という投げやりな気持にもなるわけです。

大変な思いをしたり、悲しい思いをした人が数え切れないほどいるのだという事実は、子供達にとってもいやおうなしにわかることではありますが、そればかりを強調して「怖いね、怖いね。人間にはコントロールできないことなんだよ。明日はわが身だよ。」と教えたら、「生きていても大丈夫」と「生きていれば楽しいこともあるよ」と信じることができなくなると思います。希望は見えなくなると思います。私自身が小学生の頃「生きていて楽しい」とか「自分の人生は守られていて大丈夫なんだ」と心から信じられず、惨めな思いをしたので。震災や原発のことから学ぶのは「人生は大変である。生きていると苦労が多い。」とか「悲惨なことがたくさん起こるので、頑張って生きるのは無駄である」ということではないと思うんですね。そういうことを乗り越えて、ささやかな幸せが、笑顔がまた戻ってくるんだよ、ということを感じること、それから、困難を乗り越えるパワーが自分達にもあるんだよ、ということ、これが子供達にも知って欲しいことです。津波の映像を見せて恐怖を植えつけることだけでは意味ないですよね。そのあとのフォローをしっかりしなくては。それはすぐ今できることではなくて、将来にわたってしなくてはいけないことだと思います。

今回の震災の後、殿は日本語学校の小学校を卒業し(中学に進学します)、12歳の誕生日を迎え、野球の練習などもぼちぼち始まり、アメリカでの生活は淡々と続いているし、日常生活は同じようにこなしています。何人ものアメリカ人から、心配のメールをもらったり、どこに寄付をしたらいいか聞かれたりしました。うちの子供たちが行くアメリカの小学校でも、中学でも積極的に募金をしたり、チャリティーの収益を寄付してくださったり、本当に多くの人たちに支えられていると感じます。本当にありがたいことだなあと思います。


さて、ずっと考えていたことなのですが、殿も小学生を終了したので、このあたりでこのブログは終了しようかと思います。

アメリカでの生活、子育て、日常生活を記録に残しておこうと思ってはじめたブログですが、その頃書き留めておきたいなと思ったことは一応綴っておくことができたし、子供も大きくなったので、いろいろな状況も変わってきているのでここで一区切りつけたいなと思います。

このブログを読んでくださっているので、遠くにいてもつながっていられたお友達もいました。生活の細かい部分をシェアできるのは、ブログならではの効用だったと思います。勇気を出してコメントを残してくださった方々、ありがとうございました。いろいろな話題のコメント、ときには思わぬ方向に展開して楽しかったです。またいつかどこかでつながることがあるかもしれませんね。

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Good bye from Dogwood Lane!

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2011年03月16日

春なのに

8月に癌の宣告をされた同僚が、2月末に亡くなりました。タイからの移民の女性で、63歳。アメリカには彼女が一人で育てた31歳の息子さんがいます。

彼女はタイ出身で20代の後半にアメリカに来て、タイ人の夫とは離婚して、それでもアメリカに残り、働いて働いて(フルタイムの仕事のほかにアルバイトをして)息子さんを大学まで出して、今年はそろそろ退職しようと決めた矢先に癌が発覚。6ヶ月であっけなく亡くなってしまいました。2月28日に職場から、カードとプレゼントをみんなでまとめて、箱詰めにして贈ろうと計画していて、私もカードに手紙を添えて用意していました。その日、朝から会議だったので、職場につくとすぐに受付の子に「これ、パッケージに入れてね」とだけお願いして、会議に行きました。休み時間私のボスが私のところに来て「実はねPomは週末に亡くなったのよ」と。

Pomとはお互いアジア人ということもあって、暗黙のうちに通じるものも感じていました。殿が生まれたときにもとっても喜んでくれて、お祝いのプレゼントをくれたり、その後も「写真ちょうだいね」と何度か言ってくれて、殿の写真を渡すと、職場の自分のオフィスの壁に貼ってくれたりしていたのです。
タイ料理のお店に行くときにはメニューを見てもらって、お勧めを教えてもらったりしたこともありました。

お葬式は、私の中でひとつ幕を下ろす必要があるという意味もあるので、行って来ました。タイの仏教式でした。
息子さんは、ロンドンで大手の銀行マンとして勤めていましたが、お母さんが末期癌ということでアメリカに戻ってきていて、最後一緒にいられたのは、幸いでした。彼が、みんなの前で少し話してくれたのですが、本当に立派な男性に育っていて、Pomが誇りに思っていた大好きな息子さんに会うことができて、それだけで胸がいっぱいになりました。彼のなかにお母さんのPomが生きているという感覚を実感しました。

悲しいお別れだけれど、でも私たちの中に残してくれた思い出をありがとう。天国で見守ってくださいという気持ちです。

そして、3月、春になるから少し明るい気持ちになれるかなと思っていたら、東北の地震。
言葉が出ないほどの惨事ですね。心が張り裂けそうです。

何人ものアメリカ人から日本の家族は大丈夫?とメールをもらいました。いろいろなところで募金をしてくれています。
報道も大々的なので、本当にみんな心配してくれているんですね。何かできないか、と思う人たちが世界中にいるのだということ、それはとてもうれしいことです。
私には何ができるのかな、どのようにして寄付をしたらきちんと効率的に使ってもらえるのだろうかと考えています。

混乱の中、人を責めたり、文句を言ったりということも当然でてきてしまう状況だとは思いますが、それぞれがあたたかい気持ちで前向きに進めるエネルギーがどこからか与えられますように、どん底にいる方たちも、希望の光が見えてくる日がかならずくるのだと信じる気持ちが与えられるようにとお祈りしています。
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2011年02月13日

お休みします

来月半ば過ぎまで、いろいろと終わらせなくてはいけない私的、公的なプロジェクトがあり、ちょっと時間が足りないので、ブログはお休みにします。

このごろマンネリ化していて、もうそろそろこのブログにも区切りをつけようか、とずっと考えてきています。ネットの環境も2004年にブログをはじめたときと変わってきているし、いろいろな意味で今後の身の振り方を考える時期です。
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2011年02月12日

新春祭り

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1月末に商工会の新春祭りがありました。もう2週間もたってしまった。

うちの子供たちは毎年楽しみにしていて、今年もはりきって行ってきました。
日本語の幼稚園の子供の歌とか、ゲーム大会とか、獅子舞とか舞台でつぎつぎといろいろな出し物が行われていました。この獅子舞の方はニューヨークで役者さんをしていて、獅子舞もできるのだそうです。

そのほかに、ヨーヨーつり、射的などの有料のゲームと、駄菓子などの販売もありました。スタンプラリーもやっていたようです。おみくじは無料。若は大吉、私は小吉でした。凶はないのです。
百人一首、お習字、福笑いなどもありましたが、うちの子たちはやっていなかったような。

食べ物は今年は、お餅、お弁当(おすしとおせち料理)、お汁粉、焼きそば、お団子、おでん、うどんなどがありました。
焼きそばほんのちょっとが5ドルというのにはぶったまげたけど、お餅などはおいしかったです。

うちの子供たちには、通常はお小遣いは渡していないのですが(自分で歩いて買い物に行けないのであまり意味がないから)この新春祭りではまとめてお金を渡して、好きなように使っていいよ、ということにします。それも楽しいみたい。若も殿もゲームをしたり、いろいろな種類の駄菓子をたくさん買っていました。殿も「楽しいね」と何度も言っていたし、若は1人でいろいろなところに行くことが許されているので、好き勝手にやっていて、嬉しそうでした。射的は当てるだけじゃ景品はもらえず、落とさないとダメだ、という今年の新ルールに影で異議を唱えていましたが。

私は、ものすごく久しぶりの日本関係のお友達にばったり会えたりするのでそれも楽しみです。
今回は、90年に日本の弁護士事務所で一緒に仕事をしていたアメリカ人の男性とでくわしました。私が留学するための書類を見てくれたりしたのだった。そういえば、日本人の女性と結婚していたんだっけ。息子さんが日本語のイマージョンの学校に行っていて、合唱をするので見に来たといっていました。いろいろ話していたら共通の友人もいることがわかったりして、世間は狭いねと。

そのほか、若が幼稚園でお世話になった先生とか、しばらく会っていなかったけれど、連絡はできなかった人など、元気そうな姿を見られてよかったです。

子供たちがこうやって日本の行事を楽しめるというのは恵まれています。

殿、若、私のお気に入りの駄菓子はさくらんぼ餅。若は「らいねんは10こかう」と言っています。
なんてことないのに、またラスクも買ってしまいました。
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2011年02月10日

にんじん

お仕事のお休みの平日に、仲良くしている日本人のママ(Eママ)がよく行く東洋系のグロッサリーストアに一緒に連れていってもらう予定でした。Eママはパパの駐在でアメリカに来て2年半なのに、私よりもいろいろなお店を知っているのです。私は平日遠くへ買い物には出られないし、土日は土日で予定がいっぱいなので、ついつい手ごろなところですべて済ましてしまう。なので、このお買い物ツアーをとっても楽しみにしていました。

と、こ、ろ、が、若が発熱。こればっかりは仕方ないので「また次回、声かけてね。」と。
Eママが注文を取ってくれたので、えのき、ごぼう、ごまなど欲しいなというものを少し買ってきてもらうことに。

その日の夕方おEママが買って来てくれたものを届けてくれたのですが、「このにんじん、おいしいから食べてみてね」と太い立派なにんじんも届けてくれたのです。

それで、このにんじんで炒り鶏を作ってみたのですが、わあ、日本のにんじんの味がする!

アメリカの貧血みたいなにんじんとは大違い。ほっくりする感じで、アメリカにんじんの土臭さがない。アメリカにんじんはいくらじっくりにても、しゃりしゃりしていて、これはこういうものだろう、と思っていたのです。そもそもにんじんはあんまり好物ではないし、煮物に使うときなどは水につけておいてあく(?)抜きしちゃえば少なくとも臭みはなくなるのでそれで使っていました。

でも今回、にんじんとはこうあるべきものだ、という正しいにんじんに遭遇したのです。アメリカは土が違うからにんじんも違うんだろうなあと諦めていたけれど、存在するんですね、美味しいにんじんも。このにんじんを使うようになってから煮物とかカレーなどの煮込みが楽しみです。子供達も、煮物を出すと「これEママのにんじん?」と確認して食べます。アメリカのにんじんはカレーでもよけていたのに。

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それにしても、日本のママたち、偉いなあ。近場で何でも済ませるのでなく、にんじんを求めて10マイルも遠いところに買い物に行くなんて。いろいろな意味でimperfectなアメリカで、それでも自分の思う生活を達成するため、情報網を張り巡らせ、妥協せずに追い求める。

Eママからは祇園むら田の瓶詰めのゴマもいただきました。取り寄せているのよ〜、使ってみて、と。
香ばしいくて、とっても軽い風味のゴマで美味しいです。こういうところまでのこだわり、アメリカ人にはわからないだろうなあ。
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2011年02月05日

フィルムカップ

これは私が愛用しているものです。
今年のおせち料理の黒豆と田作りを盛るのにも使いました。生チョコレートを作ってプレゼントするときにも、これを利用しています。
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お弁当にいれるアルミカップの形で、ペットボトルのような素材でできていて、花柄がついているものです。そもそもこれは2年前の夏に築地の波除通りのお店で(割り箸を専門にしている吉野家さんだったと思います)左の2種類を買いました。100枚入りだったのですが、一緒にお買い物をしていたお友達と半分ずつにしました。
去年、どうしてもまた買いたくて、築地に行ったときに吉野家さんでまた買い求めました。お店の方に「去年も買って、アメリカに持って帰って使っているんですよ」とお話しました。(吉野家さんは11時前に行かないと閉まっちゃいます。)

今回ふと、これ、一般的にはどこで買えるのだろうと思い調べてみました。呼び名がわからなかったのですが、おかずカップなどで検索していてやっと正式名称がわかりました。こういう種類のカップは「フィルムカップ」「グルメカップ」「フィルムケース」などとも呼ばれているみたいです。

私が使っているのは天満紙器株式会社のサイトで見つけたのですが、花模様なのでフィルムカップのなかでも「フローラルカップ」(竹林模様でも葉っぱでもフローラル)とよばれています。天満紙器株式会社の消費者向けのサイトは楽天のペストリートです。この桜吹雪はこんな感じで売られています。

フィルムケースとして売っているところでは(合羽橋の「プロパック」というお店、合羽橋に行くと必ず立ち寄るお気に入りのお店です。)チェック柄でサイズもいろいろありました。次回注意してみてみよう。グルメカップとして売っているお店では金箔入りがあるんですが、500枚で3000円だったので、一般消費者向けではないのですね。500枚ってどうやって消費するの、って感じですよね。

まあ、こんな情報、必要な人なんていないと思いますが、検索したことをメモしておくと、自分のためにあとで役立つので書いておきます。
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2011年02月02日

平和教育

殿の日本語学校6年間、文科省認定の国語の教科書や社会の教科書で「平和教育」を意識したところがたくさんあるなあと思っていました。今までも国語の教科書で「ちいちゃんのかげおくり」とか「一つだけの花」とか、戦争中にあった悲しいお話をあつかったりしていますし、6年生でも「平和のとりでを築く」というのがありました。社会科の歴史の授業でも戦争中の様子は写真や絵を通じてしっかりビジュアルでも印象に残る教え方をして下さっているようです。殿は「はだしのゲン」を読んで感想文を書いたりもしていました。

外国に住んでいなかったら、私自身も「そうそう、戦争は恐ろしい、戦争反対!」「戦争しないように皆仲良くできるよう頑張ろう!」みたいなところで終わっていたと思うのですが、原爆を投下したエノラゲイが第二次世界大戦を終結させたヒーローのように扱われているアメリカに20年ちかく住んでいると、日本の目線での「戦争のない平和な社会をめざして」メッセージは、それがアメリカを初めとする多くの国の人々にはわかってもらえていないんじゃないだろうか、と思うことが多いことも事実です。相対的な平和の実現のためには戦争が必要、と信じて疑わない人々は多いのです。「戦争のない平和な社会を」と言うときに、他の国の人たちはどういう背景でどういう風に戦争や平和を理解しているのか、ということをわかっていないと結局は空回りなのかなあという気はするんです。

続きを読む (長いです)
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2011年02月01日

もちもちドーナッツ

夏、日本に滞在中、ネットのお店Cuocaでいろいろ粉類を仕入れました。先日の白いたいやきの粉もCuocaです。「春よ恋」という強力粉もCuocaで買います。

今回は、もちもちドーナッツの粉というのも買ってみました。お水と卵を足して、あつかいやすい生地でした。味も、ホットケーキミックスのドーナッツよりも美味しいと思いました。餅粉が入っているわけではないのですが、もちもちしています。写真を撮るのと競争で子供たちがどんどん食べてしまったので、へんてこなのしかありません。

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2011年01月31日

平常に

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やっと平常にもどりつつあります。
電気が戻って一安心。ご近所、同僚、お友達の中にも水曜日の夜から、木、金と停電が続いた人多いです。
インターネットはケーブル会社に金曜日の夜に電話して、土曜の午後に戻りました。

先週の雪は量としてはたいしたことはないと思うのですが水分が多くて重かったからなのか、木がたくさん倒れました。上の写真はうちのお隣の木。根元から折れてます。これ、お隣のケーブルに引っかかったようで、昨日大きいトラックがきてなにやら修理をしていました。
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原始的に木を燃やして使う暖炉、私は残る灰が家中に舞い散る感じがして嫌だし、家の中に外からの薪を置いておくというのもどうも嫌なのですが、停電の時には役立ちます。ただ、局所的に温まるだけですが。

ちょっと雪が降ると停電して、インターネットも使えず、こういう生活は郊外に引っ越して10年以上続きます。電気会社が先行投資をして、もっとよいシステムにするためにはお金もかかるし(消費者から文句が出るだろうし)、電気会社の料金は州で規制されているのだろうし、もし州が援助して改善するなら結局は税金として皆様からのお金を徴収するわけで、一筋縄ではいかないことはわかっているのですが、これが当たり前なアメリカ生活、進歩のないアメリカ生活、悲しすぎます。

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2011年01月28日

停電と休校と

水曜日の雪のため学校は休校、夕方から15cmぐらい積もりました。私は水曜日は家にいたのですが、この日出勤していた人は帰りが大変だった人も多いみたいですね。数時間車の渋滞でどうにも仕方が無いと、結局車は乗り捨てて歩いて帰った、というような人も沢山いますし。乗り捨てられた車のために除雪ができず、それでまた復旧が遅れる、という。

去年の雪に比べたらたいしたことないので、特に焦りもせず食料の準備などもあまりしないでいたら、夜7時ごろから停電。やっぱり、ご飯炊いたり、パンを焼いたりしておけばよかった、と後悔しました。

木曜日は一日中電気はなく、暖炉に火をくべてしのいでいました。学校は休み、連邦政府は二時間遅れでしたが、若の学童保育はクローズだったので、私も休みをとりました。夫もこの日は午後まで出勤せず。雪かきは子供達にまかせました。

夜は夫母のところに行ってシャワーを浴びさせてもらって夕食をご馳走になり、帰ってきて9時ごろさっさと寝てしまいました。冷蔵庫もそろそろ冷えなくなっていたころ。肉とか牛乳は外に出しておくほうが温度は低いので(零下ですから)、アイスボックスに入れて外においておきました。夜中の1時ごろ電気が戻って、暖房も入りました。有難や。

家中の電気を消して回って、皿洗い機のスイッチをいれて、洗濯が途中だったのでドライヤーを回したりしてまた朝まで眠りました。

金曜日の今日は、学校は休み。若の学童保育はオープンしているのでそちらに行ってもらい、殿は私の仕事場に来ています。宿題などをやっています。家で1人で留守番させているとテレビばかり見ておわるはずなので、仕事に連れてきちゃう方が絶対にやることやるので良いのです。

今朝、自宅のインターネットは戻っていなかったので、いつまた更新できるかわかりません。とりあえず職場からお昼休みに更新です。

それにしても、こう頻繁に停電になるってあきれてものも言えないです。DC近郊で停電になったところは48万世帯だったかな。インターネットも年に何回もダウンするし、発展途上国ってこんな感じが日常なのかなあと思いました。まあ怪我したり事故にあったりしていないのは幸いです。
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2011年01月23日

一騒動

先々週、雪が降った次の日(水曜日)に若が熱がでて家にいたこともあり、私が雪かきをしました。2,3cmぐらいで、たいした量でもなかったのであっさりと終了。モリスおじいさんのうちもまだ雪かきが済んでいなかったので、家の前と、ドライブウェーの雪も適当にどけておきました。二人とも90歳近いので自分で雪かきはしないのです。いつも少しぐらいの雪だと私は出勤するので家を早くでてしまうから、帰ってくるころにはお隣の雪かきは誰か近所の人が済ませているみたいなのです。たまたま今回はお休みしてうちにいたのでやってあげられました。ちなみに、我が家ではうちの夫は今まで雪かきなんかしたことありません。だいたいそういう日でも誰よりも朝早くさっさと仕事へ出かけていきます。なのでたいていは若が適当に雪をどける係りです。

土曜日、夕方お隣のおばあさんから電話があり、「ちょこが雪かきしてくれたから、お礼にブラウニーを焼いたんだけど」ということでホームメードのブラウニーをいただきました。
次の日、殿がブラウニーを食べて、「ナッツ入っていないよ」というので、若もひと口食べたら、どうやらくるみが入っていたらしい、ママ、ナッツ入っていたよ、食べちゃったと涙声になる若。「のどがいやな感じがする」とも言っている。今までのように口が腫れたりという目に見える症状はなし。だいたい、食べたひと口に本当にくるみが入っていたのかもよくわからないし、若にもよくわかっていない。でも「エピペンして」と本人は言っている。夫はまったく状況がつかめず、症状もないのにエピペン注射をするなんていかがなものか、とのんびり言っているが、のどの不快感を訴えているわけだし、呼吸困難にでもなったら取り返しがつかないので、私が強引に若の腿にエピペンをぶっさしました。それで、すぐに抗ヒスタミン剤も飲ませて、とりあえず小児科へ連絡。症状がおさまってもまたあとでもっとひどい症状がでてくることもありうるので、イマージェンシールームに行きなさい、と言われた。

エピペンと抗ヒスタミン剤の後は若は何事もなかったように、心配事がなくなり気分爽快だと言わんばかりに振舞っていたけれど、念のためお医者さんの指示通りイマージェンシールームへ。わりとすぐに受付をしてもらい、ナースにも会い、そのあと小児科専門のお医者さんにも診てもらえたけれど、結局4時間は症状が変わらないことを確認するために、ずっと病室で待つこととなりました。若の小児科医もイマージェンシールームの医師もナースも、本人も私も絶対に症状は悪くない、と信じていたのですが、それでも4時間様子を見るというのはやはりアレルギーの場合一度症状がおさまったあとに急変ということが本当にあるからなのだろうな、と。

テレビつき、トイレつきで窓もある個室に入れてもらえて、若はハリーポッターの映画を見せてもらい、なんだか彼にとっては悪くない日曜の午後、みたいな感じで。私は本をじっくり読めたし、まあ「こういう日もあっていいか」ということで。でも「これってさ、お部屋代としていくら保険会社に請求がいくんだろうね」と考えながら。ナースが「ジュースいる?」とか「アイス食べる?」みたいに若に聞いてくるたび「それ別料金でしょうか、それとも部屋代に込み?」と質問したくなりました。

若の場合、ナッツアレルギーとはいっても、血液検査ではそんなにひどくないこともわかっているし、本人もかなり気をつけているので、私も油断していました。殿を信じたのは間違いでした。私が確認すべきだった。殿を責める必要はないのですが、お友達でアレルギーの子から「ナッツ入っている?」みたいに聞かれたら「わからん」と答えるんだよ、と言っておきました。殿の一言で救急車騒ぎ、ひいては命取りにでもなったら大変です。

そもそもアメリカのブラウニーにくるみがはいっていないことのほうが珍しいのかも、ということも今気づきました。ブラウニーなんて「砂糖の塊」みたいに思っていたので、私は好んで食べないし作らないので、よくわかってないんですけど。それから以前にお隣のおばあちゃんからブラウニーをいただいたことはあって、そのときはナッツが入っていなかったと記憶しているんです。なので完全に不意打ち。

エピペンは常備して、何かのときにきちんと対応できるようにしておかないと。のどに不快感という場合は迷うよりエピペンだそうです。エピペンってアドレナリンなので、別に注射しちゃったからと言ってものすごく体に負担、というわけではないのだそうだ。それから、うちには抗ヒスタミン剤のBenadrylがなかったので、Claritinを飲ませましたが、Benadrylの方が即効性があるので、用意しておくといいですよと言われました。とにかく食べ物のアレルギー(とくにナッツ)は呼吸困難に結びつきますから侮れないですね。

先週、若の小学校のウインターコンサート。↓
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生徒の数が多くなっていて、今では全校生徒を4つのグループにわけて、コンサートは4回行われます。まだまだ3年生はかわいいものだ。
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2011年01月21日

たい焼き

殿の学校のインターナショナルナイトで、お国の食べものを売ってチャリティーに寄付するというのがあったので、寿司を作って、気が向いたのでたい焼きも20個作りました。久しぶりにおいしかったです。
私のはモチ粉を入れます。普通の小麦粉だけのレシピだとなんとなくパサつく感じがするので、もち粉入りにしてみたのです。どこかのどら焼きのレシピで、色よくするため(?)みりんを入れるのがあったので、気持ちだけみりんも入れます。

殿のインターナショナルナイトでは、1個1ドルで売ったようでしたが、若が1人で4個も買っていました。「うちで作れるのにお金出すなんてもったいないな」と思ってしまう私です。まあチャリティに貢献していたわけですからいいのですけれどね。

それで、なんとなくまた食べたいね、ということになりと先週末また焼きました。日本からCuocaで白いたい焼きの粉も買ってきていたので、こちらも作ってみました。
白いたい焼き、完全にお餅ですね。なかなか面白いしこれはこれでおいしいのだけど、でも、たい焼きとはやっぱり違う。周りがカリッというのがないね、と殿。焼き色は全くつきません。それは不思議だな。

いつもの種類と両方。餡をどれだけ入れるかの加減が難しいですね。

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ビタントニオのたい焼き器を使い始めたとき、どうしても上側になるほうの焼きムラがあって、どうしたらいいのだろう、と思っていたのですが、去年夏、イクスピアリの「築地銀だこ」でたい焼きを焼いているお兄さんのやり方を見て納得しました。上側のほうにははけで生地を塗ってしまうといいんですね。今回はムラなくきれいに焼けました。若がやってます。↓

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たい焼き、作った後、焼きくずがたくさんあって、テーブルとか床がものすごく汚れますね。
たい焼きのプレートは綺麗にしてまたしまいます。しばらくはまたパニーニとホットサンドで活躍するビタントニオバラエティサンドメーカーです。
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2011年01月19日

ズームレンズ

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    24-70mm 55-200mm 18-105mm

普段一番よく使うズームレンズは右の18-105mmです。全体的な雰囲気写真も良いし、ズームも中望遠なのでオールマイティです。これ一本でなんとかしちゃうことができるレンズだと思います。VR付でとてもよいレンズ。

真ん中のレンズは55mm-200mで子供の野球とか運動会のときに使いまです。望遠でしか被写体にとどかないときに使いますが、55mmからなので、このレンズだと広角が撮れないじゃあないか、とつい思ってします。
それで、F値が3.5-5.6なので望遠にすると絞りがどうしても5.6になってしまって(絞りをあけられないので光が比較的入らないので)、曇りの日とか、室内ではどうしてもシャッタースピードが遅くなってしまいます。

一番左は、続きを読む
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2011年01月18日

寒波

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ただ雪が少し積もっているのかな、と思ったら、これ氷。
学校は休校で、連邦政府は2時間遅れで始まるということでした。私のオフィスも2時間遅れの出勤でよかったのですが、道路も一面氷だし、ちょっと怖いので家から仕事をすることにしました。
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若も、先週からの風邪をちょっと引きずっているし、殿もごほごほ咳をしているので、ちょっと家でのんびりするのもちょうどいいかと思います。

朝、1時間ちょっと停電したので、ひやひやしましたが、なんとか持ちこたえています。電気なくなりませんように。






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2011年01月14日

全とっかえ

私のノートパソコン直りました。
とは言っても、ハードドライブ全とっかえなので、何も残っていません。
取り替えたものは、ハードドライブ、マザーボード、CD/DVDドライブとファン。テクニシャンのお兄ちゃんがいろいろ新しい部品をたくさんもってきていて、取り替えている部分はほとんど全部っぽかったです。

で、ハードドライブにはVistaは入っているのですが、立ち上がってからすぐに、マイクロセンターで買っておいたWindows7にアップグレードしました。
それから、マイクロソフトのOffice。私のは2003ですが、新しいのって不必要なおせっかい機能がたくさんあるのでまったく不要。よっぽどのことがない限り新しいのを買うつもりはありません。ビジネスでも2003でとめているところ多いですよね。私の職場も、夫の職場もXPのまま、Officeは2003です。このノートパソコンを買うときに、ネットワーク専門の人から、Office2007が入っているのは買う必要がないよ、と言われていたのです。

Windows7は悪くないんじゃないでしょうかね。VistaだとSleepとかHibernateとかできなかったんですが、(うまくウインドウズに戻れずいつも強制終了みたいな感じでした)大丈夫みたいです。

私はなりゆきでZoneAlarmのファイヤーウォールとウイルスチェックを使っていて、あと2ヶ月分お金を払っているので、とりあえずはそれで済まそうと前にダウンロードしたファイルをインストールしたのに、なんだかエラーが出るので、サポートの人とチャットして、直しました。やっぱりファイヤーウォールとウイルスチェックがきちんとしてないとちょっとの時間でも不安ですよね。

ファイルはバックアップにとってある外付けのハードドライブにほぼすべて入っているので問題はありません。ワードとかエクセルの文書はもちろん、写真、音楽のファイルなど、問題なくコピーできます。この際、全部移行せずに必要なものだけ移すようにしようと思います。なので、壊れたハードドライブをどこかに持っていって復旧してもらう、みたいなことは多分不要です。

まだいつも使うソフト(フォトショップとか)入れていないし、ネットワークにもつないでいないのでプリンターも使えないのですが、この週末にぼちぼちやります。

こういうトラブルっていいものではないですが、ハードもソフトもいろいろ新しくなったということはコンピューターの寿命が延びたんだ、と考えるようにします。

私は一応コンピューターの仕事をしているので、こういう作業は苦痛ではないですし、一応何やってんだかわかってやってますが、そうでない一般の人にとっては、ハードが壊れるって致命的ですよね。

それで、すべて交換してみたら、音は静かだし、熱くならないし。うるさくて、熱いってやっぱり何かがおかしかったからなんだろうな、と思いました。私は2年半前に始めてノートパソコンを買ったので、いったい何がノーマルなのかわからなかったんですね。それでいろいろなトラブルもかなりマイクロソフトのVistaがらみだとわかっていたので、DELLに電話するのも申し訳ないみたいだし、忙しいし、でそのまま放置していたらこんなことになりました。なので、DELLを恨んだりっていうことはないんですね。いつもどおりものすごくサポートはスムーズだし。

まあとにかく、ウインドウズが開かない、ハードドライブお釈迦なんていうことが日本に行っているときに起こったり、出張中だったりしなくて本当によかったです。
新しいMotherboardだからNVIDIAのエラーもなくなる可能性が大きいし、Vistaからはおさらばしたので、普通にアプリケーションを使っていてフリーズしたり、Desktop Managerがストップしてしまう、というエラーもなくなるかなあ、と思っています。

すべて新しくなったので、出直しの気分ですが整理し直せるというのは良いことだ、と思うことにします。

皆さん、ファイルのバックアップはきちんとりましょうね!
私の場合、自分のラップトップのデータ(写真など)で本当に大事なものは、家族用のデスクトップにもコピーしたりしていましたが、今のところバックアップは外付けのハードドライブが主なので、もうひとつバックアップのドライブを買ってこようと思います。

何年か前にうちの裏庭に雷が落ちたときには、同じプラグに接続していたバックアップドライブと、このコンピューター両方やられてしまったのですが、そのときにはやられた部分がマザーボードで、ハードドライブは生き残ったのでした。それ以来、バックアップドライブは面倒でも、いちいちプラグを抜いて電源を切るようにしています。大事なものは本当は3箇所以上のところに保存すべきなんだと思います。
備えあれば憂いなし、といきたいところですが、備えあっても憂いはあるので、なおさら念には念をいれてバックアップを取るのです。

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2011年01月09日

イマージェンシー

2008年の夏から使っているDELLのラップトップ(XPSという種類のノートパソコン)のハードドライブが使えなくなってしまいました。土曜日、いきなりウインドウズが立ち上がらなくなり、黒いスクリーンに白い文字の画面から抜け出せなくなってしまったのです。出先でコンピューターを使おうとオンにしたらこういう状態になり、仕方ない、その場はコンピューターなしで、帰ってからDELLに電話。こんなこともあろうかと、保証は3年間つけておいたのです。

サポートはすぐにつながり、いろいろテストした結果、Safe Modeでも立ち上げられないので、ハードドライブそのものが物理的にやられているんではないか、ということでした。仕方なくハードドライブ交換の手続きをしました。無料で、来週テクニシャンが自宅に来てハードウェアの交換をしてくれます。ハードドライブをフォーマットし直しても解決にはならないらしです。全部データーはあきらめないと。まあ一応文書も写真もバックアップはとってありますが、ソフトを入れなおしたり面倒です!

そのほかもこのコンピューターいろいろ、不具合が実はあったのです。Excelとかワードがものすごく頻繁にフリーズするんです。これに関してはVistaのせいだろう、と思ってあきらめていたんですよね。で、Windows 7が落ち着いたらアップグレードしよう、と思っていました。でももう待っているよりVistaとはおさらばしようと、土曜日Micro Centerに行ってアップグレードバージョンは買ってきました。新しいハードドライブがきたら、Vistaは葬るのだ。

加えてNVIDIAというVideo Driverが欠陥品で、いきなりシャットダウンするというのは日常茶飯事。これは集団訴訟になっているらしく、うちにも連絡が来ています。サポートのお姉さん曰く、Biosをいじると直ることもあるらしいので、落ち着いたら一緒にやって見ましょう、と。

それから、このコンピューター、とにかく熱くなるんです。これが普通なのかなあとずっと思っていましたが、うちの母のとか、職場でラップトップ使うとそんなこと全然ない。指紋を読み取る小さいガラスの窓みたいなところなんて、熱くて触れないぐらいになっていたんです。これってやっぱり異常なんでしょうかね。

あとは、最近DVDドライブの調子が悪くて、CDが焼けなくなったんです。ブランクCDを入れると、出てきてしまう。

ということをいろいろ説明したら、DVDドライブはもちろん、Mother Boardも、Fanもメモリーも取り替えましょうということになりました。この際、言われるまま全部新しくしてもらいます。

本当は、この様々な問題を、年末年始にDELLのサポートに電話して訴えるつもりでいたのに、時間が見つけられずそのままになっていました。それで最悪の事態(ハードドライブがお釈迦)になって、ここぞとばかり全部吐き出しました。

ハードドライブが2年半でダメになる、ってちょっとびっくり。そもそも熱くなったりするコンピューターってやっぱりきちんと、報告しておくべきだったのかなあ。こういうことよくあるんでしょうかね?私はゲームをするわけでもないし、ハードなユーザーでは決してないはずなんですけど。

今週早々に部品が入り次第、出張サービスで直しに来てくれるはずです。いちいち送りなおしたりする必要がない、というのは助かるけど、出張サービスなんて使わないですめばそれに越したことがないんだけどな。

うちの家族が使っているデスクトップももう限界にきているので、買い換えなくてはいけないけれど、どういう機種にするか、Laptopを直しに来るテクニシャンに聞いてみよう。

というわけで、しばらくは更新ができないと思います。


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2011年01月06日

フォンデューポット大活躍

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相変わらず、手軽に使えるフォンデューポット愛用しています。
子供達がお休みの日に若とポテトチップを作りました。子供達はポテトチップってどんなものでも好きですね。厚いのより、薄い方がやっぱり美味しいのかな。

ハンバーグの残りのたねを小さくしてミートボールを揚げてみたら、今までになくジューシーなミートボールができたし、土曜日のお弁当用にミニコロッケをさっと作ったりできるし。
この前なんか、適当な鍋が全部ふさがってしまっていたので、千切りキャベツを炒めてしまった。これもすごく便利。深いからあふれないし、焦げないし。カウンターの隅で勝手に調理してくれているけなげさ。

年末に、れいみちゃん家族がパパと娘さんたちとDCに遊びに来ていたので、夜ごはんを一緒にしました。すきやきは日本仕様のホットプレートが鍋になったようなのを使って、フォンデューポットで豚のしゃぶしゃぶもどきをしました。Broth Fondueというのと同じことですね。
食べるのとおしゃべりに集中していて、写真はなし。

うちの子供たちは、「揚げ物を万能にこなし、使い勝手抜群のフォーンデューポット」がどれだけうちの食卓に貢献するようになったかがよくわかっているので、おりあるごとに「れいみちゃんにおしえてくれてありがとうっていわなくちゃね」と言っていた。殿はれいみちゃんに「どうやってフォンデューポットで揚げ物ができるって考えたの?」とずばり質問していました。れいみちゃん曰くそもそもはチーズフォンデューをしようと購入して、説明書にオイルフォンデューができると書いてあったのでピンときた、と。「これ、揚げ物ができるじゃん」って。確かに。(ぶんぶんと首をたてにふってうなずく)

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キッチンエイドでついてみた餅(2回目の挑戦)はもち米を新しいのにかえたからなのか、水分を減らし気味にしたにもかかわらず、柔らかすぎてこしがなかったので、「揚げたら揚げ煎餅になるかな?とやってみました。

でもこしのないやわらかい餅は揚げてもやわらかいままで、だらだらとしてしまい、揚げ煎餅に変身することはありませんでした。写真のわけのわからん物体は揚げた餅です。そうだ、煎餅って餅を「乾かす」ってとこからはじめるんだったな。揚げても水分はなくならないですね。
でも、柔らかい揚げ餅も美味しくて、子供達と競って食べました。
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2011年01月03日

お節料理は

去年のお正月までお世話になっていた日本食料品店が閉店になってしまったので、今回はちょっと勝手がちがってしまいました。少し遠くまで行けばもうひとつ日本食料品店があるので、年末に行ってかまぼこを買うことはできました。酢だこや数の子、昆布巻きも買おうかな、とは思ったのですが、今年はミニマムにしました。ただ、きんとん用のさつまいもを買うのを忘れてしまったのが悔やまれます。

黒豆、田作り、かまぼこは個別の籠に入れてみました。籠の中にはプラスチックのお花柄のカップ(上の部分は透明)を入れ、黒豆、田作りを盛りました。たたきごぼうと煮物と牛肉の野菜巻き(しめじ巻きとごぼう人参巻きバージョン)は陶器の3段重に入れました。うちにあった金ごまのわかさぎもたたきごぼうの隣にのせちゃいました。これは御節ではないですが、なんとなくおめでたいということにしてしまい。

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_DSC1421.jpgこの陶器のお重の3段引き出しは以前日本のお友達からいただいたものです。子供が小さいときにはゆっくりと楽しむことができなかったのですが、今回使えてよかった!

結局、うちの家族はお節料理としてお重につめるものは、元旦だけ楽しめばそれでよし、という感じです。そもそも、子供達は温かくない食事、冷たいお弁当みたいなものが苦手なので、なんでもいちいち温めないと喜んでもらえないのです。毎年残ると私がせっせと一人で処理をするということになってしまうので(それはそれで実は嬉しかったのですが)、最小限みんなで楽しめるものだけ作りました。伝統的なお節料理とは違うけれど、でもお正月の雰囲気を味わうだけでも十分です。

かまぼこは家族みんなが大好きなので、今年もたくさん買い込みました。アメリカで冷凍でないかまぼこはこの時期しか手に入らないのです。今年は鈴廣のかまぼこもみかけましたので(去年かまぼこ体験でお世話になったこともあり)買ってみました。その他、籠清、紀文といろいろ食べ比べて楽しんでいます。それぞれ味も噛み応えも違って面白いですね。きり方もいろいろ試してみました。わさび醤油で美味しいです。





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2011年01月02日

新春

_DSC1389_crop.jpg _DSC1380-1_edited-1.jpg 

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

元旦には今年もお雑煮を作って、家族で簡単な御節を楽しみました。なんとなくお正月の雰囲気を皆で味わうことができたのでよかったです。写真のお雑煮、せっかく兎の型があるので入れてみました。右の写真、ちょっとわけがあってクロップしたら、左とのバランスが。。。お雑煮は殿がとくに好きで、この2日間、一日2回食べています。うちのお雑煮は鶏肉がはいります。

去年もなんだか突っ走った一年だったのですが、今年はどうなるでしょう。
今年の一番の目標は、生活面での整理整頓をきちんとする。物を溜めない、どんどん捨てる。
オーガナイズを徹底させることです。

それから、ここ数年忙しいから、と後回しにしてきたことを少しずつでも片付けていくことはあきらめずに続けます。

子供とのかかわり方については、いろいろ考えることもあるのですが、私がコントロールできるのだという幻想は捨てて、私がいらいらしない程度に上手に繰るようにしよう、と思います。

明日(3日)からは学校も仕事も始まります。2日が日曜日だったからお休みだったものの、普通なら2日から平常どおりになるのです。お正月とはいっても、殿は現地校の課題などもあったし、日本の様な特別な日をすごすという感じではなかったです。ただ、私は30日からお休みにして、4日間一歩も外にでないという生活ができたので、久しぶりにのんびりしたなあと思います。ひきこもれ、といわれたらハッピーにひきこもれるタイプなのです。このお休みでやりのこしたこともたくさんありますが(2010年のクリスマスカードも)、ぼちぼちやっていきたいと思います。

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2010年12月31日

よいお年を

今年は30日、31日とお休みにしたので、元旦の準備など少し余裕をもってできました。
午前中には紅白歌合戦を見て、午後はお節料理の準備などをして、お餅も作って、最後にテーブルクロスにアイロンをかけるところまでできたので、これで休もうと思います。

皆様、よいお年をお迎えください。

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2010年12月30日

久しぶりミュージカル

クリスマスが終わって、夫はずっと休みをとっていますが、私は仕事に行く日もあってなんとなくせわしい日々でした。子供達は学校は今週いっぱい休みです。現地校も、日本語学校お休みなのでかなり私も精神的に開放されています。

せっかくの休みだからと夫がオクラホマというミュージカルの切符をとってくれたので、家族で見に行きました。Arena Stageというところで、劇場の真ん中に舞台があって、お客さんが舞台を囲む形式になっているところです。前から2番目の列だったので、よく見えて役者さんの息遣いまで感じられました。

オクラホマはとても有名なミュージカルなのですね。NYのブロードウェーではいくつかミュージカルを見ましたが、オクラホマは見たことはなかったのです。殿はとても喜んで楽しんでいました。若も楽しんではいたものの、途中で疲れちゃっていました。終わったのが夜10時半だったので。

ミュージカルの役者さんたち、本当にすごいですね。踊りも半端じゃないし、声もちゃんと出ているし、演技も上手いし。厳しいオーディションに勝ち残って選り抜かれた人たちなんだから当たり前なんですが、レベルの高さにびっくりです。本当に好きでなかったら、ああやって毎日、毎日同じこと繰り返せないだろうなあとも思いました。

キャスティングもとてもよいとは思ったのですが、ヒロインの女性が黒人だったんですよね。今ではインターレイシャルな恋愛とか結婚ってもちろん普通にあることだけれど、あの当時(1900年代のはじめ)そういうことが普通にあったわけがないので、筋を知らない私は「白人と黒人の恋仲ってこりゃあおおごとだろう、何かわけありなのか?」と余計なことを考えたりもしたんですが、とりこしぐろうでした。単に白人の男性の相手の女性を黒人でキャストしただけなんですね。黒人と白人の恋愛は、今に置き換えればとくに取りざたすることではないのかもしれませんが、あの当時の話として見ていた私にとっては、逆に余計なことを考える要素となってしまいました。殿とか夫はどう考えていたんだろう。

ともあれ、久しぶりにミュージカルを楽しめたのでよかったです。

_DSC1363.jpg _DSC1364.jpg

さて、明日は大晦日。お節料理はあまりたいしたものを作る予定はないのですが、それでもお雑煮の用意をしたり、ちょっとだけ準備はしようと思います。紅白歌合戦もあるんですよね。子供達が楽しみにしています。
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2010年12月25日

Merry Christmas!

クリスマスイブは夫母のところで食事をしました。子供達はやはり明日が楽しみなようです。

我が家はクリスマスのプレゼントなど、かなり地味にするのではありますが、それでも前日の準備にあたふたしてしまいます。去年も、その前も、結局夜中すぎまでごそごそとしていましたが、今年も同じ。

よいクリスマスをお迎えください。

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