夏におみやげに買ったかもめのたまごの「さいとう製菓」からメールがありました。津波により岩手県の本社機能が壊滅状態ということで復旧の見込みもたっていないということ。こういう風に従業員を抱える会社でも、再建の目処がたっていないところも多いのでしょう。律儀にメールを配信して下さって、それがなんとも悲しかったです。何もかも失ってしまって、とりあえず生きていくだけで精一杯で、でも自分の事業の建て直しまで考えなくてはいけないなんて、想像を超えますね。国や自治体が適切に助けの手を伸ばしてくれるようにと思います。
若のアメリカの小学校の日本人家庭のお父さんの1人は、親戚の方が気仙沼で2人津波のために亡くなったのだそうです。90歳の寝たきりのおばあさまとお嫁さんだったということ。津波がくるとわかっても逃げ切ることができなかったのでしょうね。そのときの恐怖や無力感を思うと胸が締めつけられます。
原発も、本当に心配ですね。誰も想定していなかったほどの被害なので、どこから手をつけてよいやら、という感じですよね。問題を冷静に把握して、解決をしていくための視点と機転と知恵と精神力が関係者の方たちに与えられますようにと祈るしかありません。原発なしで電気を供給するためには、またインフラを変えていく必要もあるでしょう。めどがいつごろつくのかもわかりませんよね。気が遠くなるようなプロジェクトではないですか。
遠くにいる私は何もできないのですが、ただただ、皆さんに、前向きに進むことのできる元気とエネルギーがもどってくるように、ということ、笑顔が戻ってくるのだと信じることができるようにとお祈りしています。
日本の人たちは連帯感が強いあまり、一緒に苦しもうとして、元気な人まで元気をなくすのが筋合いである、それが美徳みたいにどこかで思っている人も多いのかと感じますが、必要な情報以外は思い切って自分の中にいれない、自分が消化できる情報の量をしっかりわかって、それ以外は見ない読まない、ということも健全な精神状態を保つために必要だと思います。今までも、そしてこれからも悲惨でかわいそうすぎて一緒に泣いてあげたいエピソードはどんどん入ってくるわけですが、それを自分の中で建設的に処理して、前向きに生きていくエネルギーに変えられないなら、決して情報の中にどっぷり漬かって溺れてしまうのはよくないと思うんですよね。どんどん流される悲しい悲惨な状況の報道によって、元気だったのに元気をなくしていく、時が経つほど落ち込んでいくというのは、ある意味で自分にも、皆にとっても無責任な結果を生んでいる、というぐらいの気持ちでないと、情報過多のこの世の中、自分や家族を守れないと思います。失恋して悲しいときにさだまさしを聞いてもっと悲しくなる、っていうのが昔笑い話になっていましたが、もっともっと悲しい話を聞きたいっていう欲求は実のところ人間にはあるのだと思います。それが自分にとってプラスなのかマイナスなのかきっちりと把握しないと。失恋とさだまさしは笑い話になりますが、心身症になってしまったら、笑い話ではすまされません。それぐらい、メディアの力は強烈なのだということ、大人も理解していないと。
3月27日が父の命日だったので、40年も前のことなのに今回の震災で大切なものをなくされた方たちの気持ちと重なり感傷的になりました。人生って、楽ではないんだと思うし、楽しいことや幸せだと感じる瞬間なんてどうせ続かないだろうし、という投げやりな気持にもなるわけです。
大変な思いをしたり、悲しい思いをした人が数え切れないほどいるのだという事実は、子供達にとってもいやおうなしにわかることではありますが、そればかりを強調して「怖いね、怖いね。人間にはコントロールできないことなんだよ。明日はわが身だよ。」と教えたら、「生きていても大丈夫」と「生きていれば楽しいこともあるよ」と信じることができなくなると思います。希望は見えなくなると思います。私自身が小学生の頃「生きていて楽しい」とか「自分の人生は守られていて大丈夫なんだ」と心から信じられず、惨めな思いをしたので。震災や原発のことから学ぶのは「人生は大変である。生きていると苦労が多い。」とか「悲惨なことがたくさん起こるので、頑張って生きるのは無駄である」ということではないと思うんですね。そういうことを乗り越えて、ささやかな幸せが、笑顔がまた戻ってくるんだよ、ということを感じること、それから、困難を乗り越えるパワーが自分達にもあるんだよ、ということ、これが子供達にも知って欲しいことです。津波の映像を見せて恐怖を植えつけることだけでは意味ないですよね。そのあとのフォローをしっかりしなくては。それはすぐ今できることではなくて、将来にわたってしなくてはいけないことだと思います。
今回の震災の後、殿は日本語学校の小学校を卒業し(中学に進学します)、12歳の誕生日を迎え、野球の練習などもぼちぼち始まり、アメリカでの生活は淡々と続いているし、日常生活は同じようにこなしています。何人ものアメリカ人から、心配のメールをもらったり、どこに寄付をしたらいいか聞かれたりしました。うちの子供たちが行くアメリカの小学校でも、中学でも積極的に募金をしたり、チャリティーの収益を寄付してくださったり、本当に多くの人たちに支えられていると感じます。本当にありがたいことだなあと思います。
さて、ずっと考えていたことなのですが、殿も小学生を終了したので、このあたりでこのブログは終了しようかと思います。
アメリカでの生活、子育て、日常生活を記録に残しておこうと思ってはじめたブログですが、その頃書き留めておきたいなと思ったことは一応綴っておくことができたし、子供も大きくなったので、いろいろな状況も変わってきているのでここで一区切りつけたいなと思います。
このブログを読んでくださっているので、遠くにいてもつながっていられたお友達もいました。生活の細かい部分をシェアできるのは、ブログならではの効用だったと思います。勇気を出してコメントを残してくださった方々、ありがとうございました。いろいろな話題のコメント、ときには思わぬ方向に展開して楽しかったです。またいつかどこかでつながることがあるかもしれませんね。

Good bye from Dogwood Lane!